第1回ブラジル移民の中川トミさん
(以下、webより引用) 笠戸丸でブラジルへ、第1回移民の中川トミさん死去 (読売新聞 - 10月12日 10:41) 中川トミさん(なかがわ・とみ=ブラジル第1回移民最後の生存者)11日、ブラジル南部パラナ州ロンドリーナの自宅で老衰のため死去。100歳。 現在の熊本市出身。1908年6月18日、第1回移民として移民船「笠戸丸」で家族と共にブラジルに渡り、サンパウロ州に入植後、51年にパラナ州に移住し、コーヒー農園を経営。 家族によると、最近は車いす生活を送っていたが、健康には問題なく、140万人に達するブラジル日系人社会の象徴として、移民祭などの式典には欠かさず出席していたという。(リオデジャネイロ 中島慎一郎) ブラジルのサンパウロで日本人移民の多さを知り、日本人移民の歴史をその街の資料館で目にすることができた私としては、今回の第1回移民の中川トミさん死去のニュースは寂しい知らせです。 人はいずれこの世を離れますが、こうした方々の残して来た足跡や文化、功績などをいつまでも語り継ぎ、私達がいつまでもこうした先駆者達の知恵、希望、苦労を心にとどめておくことで、この世を離れてもずっと生き続けて行くのかもしれません。 心より中川トミさんのご冥福をお祈りいたします。 |
Comments on "第1回ブラジル移民の中川トミさん"
お久しぶりです♪
南米に渡って苦労された日本人の方々が一杯いらっしゃるんですね。この前、何の番組だったか、幕の内弁当の中身はどこから来たのかを探る番組で、おかずのお豆が、40年前に南米へ渡り住んだ日本人の方の農場で作られていました。
その方は、最初はとても苦労したけど、今はここが最高って言ってらっしゃいました。
その言葉が言えるってすごいなと私は感動してました。
その場所を最高にしたのは、やっぱりご自身の努力というか。自分の力で異国を故郷にされたんだなぁと、尊敬してしまいました。
そうですか、幕の内弁当のお豆と南米日系移民の力…。そんな所につながりがあったなんてとても感慨深いですね。
苦労してでも、自分の居場所を作り出せるそのパワーを私達も見習いたいです。
それから、キューバにも日本人移民がいる…ということを聞いて驚いたのですが、その方は母国の土を踏みたくても恥ずかしくて帰れません…とおっしゃったそうです。キューバの社会情勢変貌は移民の方々には読み取れない将来だったのですから、仕方ないのに…と思いますが、母国を後にしてしまったが故に複雑な気持ちのまま生きている人達がいると思うとなんとも切ないです。