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July 31, 2006

イランはテヘランのこと。

i怒濤のごとく過ぎ去った7月。
日本への里帰りを終えた直後にイランの首都テヘランを訪れたのですが、いろいろ感じた事や書きたい事があり過ぎて、しばらく心がおさまるまで待っておりました。

テヘラン行き、テヘラン長期滞在の可能性が浮上してからはとにかくイランのことを知りたくて本を読みあさっておりました。

1.定番ですね… Lonely Planet IRAN


2.Reading Lolita in Tehran

時代背景がイスラム革命の前後と革命中のため、この本のイメージのままテヘランを訪れるとすごい「ギャップ」を感じることになります。
西洋文学をとおして、当時のテヘランの女性達、社会の移り変わりを描写していて非常に興味深い1冊でした。

3.Lonley Planet 版 『ペルシャ語会話集(ファルシ語)』

やっぱり「ありがとう」くらいはペルシャ語で言えるようになっておきたい…と思って購入。
簡単に文法事項もきっちり掲載されているし、小型なので持ち運びに便利。

4.イランを知るための65章

これは1読の価値あり!
とにかくイランの歴史、文化、社会、宗教などなど、たくさんのことが記載されていて、イランへ行くなら事前に読んでおく事をお薦め。

5.はじめてのイラン国語・書き方読み方


6.CDエクスプレス ペルシャ語

言葉については上の2冊を事前に目を通しておきました。
日本ースイスの機内、スイスーイランの機内でもたっぷり勉強。

イランの公用語は「ペルシャ語(アラビア語の影響を受け『ファルシ』とも言う。映画シリアナの1シーンで『お前、ファルシを喋らないな!』という台詞もありました。)」ですが、
多民族国家のため、地域により言語が異なっています。ペルシャ語はイランの他アフガニスタンでも使われています。
文字はアラビア文字ですが、文法や単語は「インドーヨーロッパ語」に属するペルシャ語はアラビア語のそれらとは全く異なります。
ある本の中で「日本で使う文字は中国語で使う漢字。でも文法や単語だとかは全く別であることと同じ。」なんとかいう表現がありました。まさしくその通り。各アルファベットは読めてもつなげると、全く別物なんです…。
ただ、アラビア語の影響も大きいことは確かで、アラビア語と共有する単語もあります。
また、フランスとのつながりが強かったこともあり、「ありがとう」は「Merci(rを巻き舌で)」で全然OKなんです。
ずっと、ペルシャ語の「ありがとう」=「motashakkeram」をモゴモゴ言っていたのですが、
現地の女性と街散策をしている時にいつも「メルシ、メルシ」と聞こえるので「なぜ?」と尋ねたところ、「フランス語の影響があるからmerciで通じるのよ。」と…。
それ以来、「メルシ」を大活用!

文字の作りは表音文字なので、どことなく韓国語の仕組みと似ているな〜と思いました。
そう考えると覚えやすくなったのですが、厄介なことに文の「頭、語中、語尾」のどこにアルファベットが来るかで文字のスタイルが変化するのです。
これを覚えるのはちょいと時間がいります…。しかも似ている文字が結構あるので…。
この文字変化を克服すれば、ペルシャ語への第一歩は踏み込めそうです。

イランの歴史はペルシャ帝国と深いつながりがあることはご存知だと思います。
彼らは民族から行くとアラブ人ではありません。ペルシャ人という枠になります。
ある本では「自分たち(ペルシャ人)とアラブ人とはハッキリ区別したがる。」ということも目にしました。
しかしながら、中央アジア、アフガニスタン、パキスタン、シリア、トルコなどの国境とお隣同士ということもあり、イランの民族は非常に多様であります。
また、アフガニスタンが戦火のまっただ中であったとき、イランはたくさんの難民を受け入れた実績もあります。
今日でもそうした異国民の受け入れは比較的柔軟のようです。
アルメニア系の人が暮らす地方もあり、ここではキリスト教が認められています。
歴史で目にした「ゾロアスター教」、今では大変な少数派となりましたが、まだまだ信仰深くその教えを受け継ぐ人々がいるのだそうです。
異教からイスラム教への改宗は認められていますが、イスラム教から異教への改宗は認められていません。

イランとは「イラン・イスラム共和国 Islamic Republic of Iran」の略。
略して呼ばれるせいか、イランにおいては、イスラム教の教えが政治、法律、社会の秩序であることを忘れられているというか知られていないですね…。
イランがイスラム共和国になった経緯は、様々な資料があるのでそちらを参考にしていただきたいと思います。(例:google検索で「イスラム革命、イラン」とでも入れていただければたくさんの資料がhitします。)

ちなみに彼らの「イスラム教」は「シーア派」です。このことについて書き始めると終わらないので、ここでは省略します。
詳しい事はgoogle検索で「イスラム教、シーア派」で検索してみてください。

同じイスラム教の信仰でもテヘランの方々は比較的自由な感じがしました。
というのも、1日3回のお祈りなのですが、特にモスクに「ダぁ〜っ!」と人が流れるわけでもなく、街中にコーランが響き渡るわけでもなく、道ばたでお祈りするわけでもなく…。
話によると、「大切なのは『心』の信仰なんだよ。」とのこと。
なるほど。イタリアのアラブ人街はなんと礼拝時間(1日4回)になると公共の道路まで塞いでお祈りするらしいですから、それと比べると「なるほど、『心』ね…」と納得です。

ですが、イスラムの教えはきちんと守らないと「法律違反」で御用です。
まず、アルコール持ち込み&飲酒は禁止。女性だけでなく男性も肌を露出する服装はNG。
例えば男性の「半ズボン」は×です。

皆が気になる女性のファッションなんですが、これはとにかく「凄い!!!」の一言。
私が足を運んだエリアではとにかく「おしゃれな女性」が一杯で、目から鱗でした。
スカーフ(へジャブ)は色とりどりの美しいものを、美しくかぶり(かぶるというか、頭の後ろの方にチョコンと載せているだけのような…)、洋服は色鮮やかな上着、パンツ、時にはバミューダーパンツの人もいたりで、靴もミュールの人がいたりして、アクセサリーじゃらじゃら…。お化粧もバッチリ!
大きめサングラスに綺麗なお顔…、もう思わず見とれてしまいます。
正直「えぇえええっ!こんなのアリ???」的状態でした。
パリーテヘランの飛行機移動なんかも、テヘラン到着数分前までへジャブをつける人はいないし…。(ちなみにこの日はエアーフランス)しかも女性は皆、到着1時間前からお化粧パタパタし始めるし。

レストランではスルスルっ〜っとへジャブが落ちたり…。でも慌てるようでもなく…。
きっと地域・エリアによっても随分違うのでしょうが、少なくても私が目にした多くの女性達は「おしゃれ、華麗、キラキラ、堂々としている」人ばかりでした。
車も運転しますし、仕事もしています。(とあるオフィスの70%はなんと女性!)
カフェやお買い物にも女性だけで行きますし、家族以外(らしき)男性とも手をつないでデートしてます。
男性も女性を敬いますし、「イスラム」と聞いて想像するものとは随分かけ離れておりました。

もっとも、革命前のイランは非常に自由で、女性の地位も高い国でした。
へジャブやチャドールの着用はしなくてよい国だったのですから、現状もちょっぴり納得です。

もちろん、私の知らない内情はあると思います。
服装警官やら、モール出口での服装チェック、秘密警察だとか…。
そして保守的なイスラム家庭の方々もいらっしゃるでしょうから、こういうのは実際に暮らしてみないと見えて来ないものだと思います。

さて、イランで革命後も流行っているもの…
それは「衛星放送」です。
EURO NEWS、アラビア語字幕の西洋映画、CNN、BBCも入って来ます。
が!!!
CNNとBBCは妨害電波により見れませ〜ん!画像が固まっている状態のままです。
そういえば、ブッシュとプーチンの会見のニュースが流れたとき、面白い現象が!
なぜかブッシュの会見になると画像が乱れる!!!これは面白かった。
ま、「ざまぁ見ろ…」という感じもしますが…。

その話なんですが…、見ました見ました…。反米・反イスラエルの壁看板。
ちなみに「イスラエル」とは呼ばないんですよ…「シオニストレジーム」という呼び方なんです。こんなご時世ですから、この壁看板は非常に感慨深いものが…。
さすがに写真を撮る余裕と勇気はございませんでした…。

そうそう、イランでは写真撮影が出来る場所がとっても微妙で、今回は慣れないこともあってあまり写真を撮っていません。
というか、自分の「目」で、自分の脳裏にしっかりテヘランの街や人を焼き付けることに大忙しだったこともあるのですが…。

テヘランの大気汚染はとても深刻です。
冬になると外出すら出来なかったり、光化学スモッグとかで亡くなる人も出るそうです…。
確かに、あの交通量と走る車を見ればそれも納得です。しかも1970年代のイラン製の車が多く走っていて、この車が大気汚染の原因ともなる排気ガスを大量にまき散らしているのです。しかし、なんとこの古い車種は年内に政府が買い取るとか!?本格的に大気汚染問題に乗り出したようです。それに新しいトンネルも完成したので、開通すれば交通渋滞緩和にもなる読みなんですが…。
ちなみに、新しい車は「プジョー」が多いです。イラン国内で製造されているのでたくさん走っているのです。
それから「メルセデスベンツ」「BMW」なんかも最近ではよく見かけるようになりました。
実は関税がべらぼ〜に高く、市場の値段の倍が税金だとか…。
そんな話を聞くと高級外車に乗っている人を見る度に「すごいお金持ち!?」と反応してしまいます。
でも現地の女性の話では「車はただでさえ高い物なのに、現状の車の値段は高すぎて一般の人達は簡単に買い換えなんてできないのよ。」と言っておりました。
そんな彼女は2児の母。とっても素敵な女性で、モールに立ち寄って一緒に母の日用のスカーフ(へジャブに使う)を選びました。
この時感じたのが、テヘランの女性達がいかにスカーフ1つをとってもお洒落に気を使っているかということです。
何枚も、何枚も取り出しては試着をし、お店のカウンターが山盛りになっても納得するまで試着します。
私も1つ買っておけば良かったなぁっと、ちょっと後悔中。

そうそう、あと1つ…。
テヘランの裕福層では「鼻の整形手術」が流行っています。
時々、お鼻のてっぺんにシールみたいなのを張った女性に出くわすのですが、それはその証拠。

と、だぁ〜っと駆け足で書きたい事を書きましたが、本当はここに書ききれないくらいたくさんの「見た事」「感じた事」「思った事」があるんです。
でも、夜も更けて来たので今日はこの辺で終わりにします。
また気が向いたら書きます。
ちなみにIn Tutto il Mondoにも滞在日記を数少ない写真と一緒にちょこちょこっと載せていますので、よかったら覗いてみてください。

最後に面白いサイトを発見しました。
http://tehran24.com
テヘランの街の写真が見れますよ。
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July 30, 2006

思いがけない土曜日

「ねぇ、松葉杖ついているのに、そんなに車運転して大丈夫?」
「いいよ、運転している方が歩いているより楽だから。」

そんな彼の言葉に甘えて、夕方から「Superman Returns」を隣街まで観にでかけた。
映画が終わったのは午後8時半。

彼の会社まで忘れ物を取りに行って、そのまま湖畔のバーで1杯ビールでも飲んで帰宅するつもりだった私たち。

働き者さんはそのまま車を走らせ、湖畔沿いの山に絨毯のように敷き詰められたワイン農園の小道を登って行く。

スイスの湖畔を眺める山の斜面はかなり傾斜があるのだが、そんな傾斜にある小さな小さな街に「驚く場所」があった。

「さ、ここで1杯飲んでから帰ろう」
と、車を止めた彼は足を引きずりながら、私を案内してくれる。

傾斜を降りる斜面の階段に足を踏み入れた私は、呼吸をする事も忘れてしまった。

そこはまるで「天空」のような…。

自分が湖の上を飛んでいるかのような錯覚にさえ陥ってしまうほど、その景色と場所の融合は見事だった。

こんな山の上の小さな村に、こんな素敵な場所があるなんて…。

秘密にしておきたい…。

そんなことさえも思ってしまう。





「こんな思いがけない素敵な土曜の夜をありがとう。」

この場所…、後ほど「In Tutto il Mondo」でご紹介することとしましょう…。
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July 27, 2006

光を操る人


先週、従姉妹のYちゃんがチューリッヒへ降り立ってから1週間。
彼女は明日、再び日本へ帰ります。

この1週間、2人でチューリッヒを皮切りにイタリアはミラノとベルガモ、フランスはエビアン、そしてスイスのレマン湖周辺をのんびり旅をしました。

Yちゃんはアーティスト。
小さな頃から素敵な作品を作り続けています。
今はCM製作会社でも活躍していて、来月は個展を開催します。

初海外で個展材料を集める彼女。
今回の彼女の撮影写真は1000枚を超えています。

そんな彼女の撮影した写真を見て思うのは「光を操る人」だな…ということ。
彼女独特の感性でカメラに収められた被写体には、まるで「光の円」のようなものが浮かぶのです。

そして被写体をとらえようとする彼女の姿を見ていると、とても可愛らしくそしてエネルギーに溢れ、目がキラキラしています。

今回、彼女と一緒に過ごした時間でYちゃんの素敵なところがたくさんたくさん分かりました。
幼い頃から一緒にいた時間も多かった私たちだけど、年頃になってからは暮らす街の距離や生活ベースが違っていたので、顔を合わせることも少なかった私たち。

でもこの旅でもっともっと一緒に旅をしたくなりました。

明日、Yちゃんが帰ってしまうと私はまた1人で昼間の時間を過ごす事が多くなります。
寂しいけれど、次にまた一緒に旅をできる日がくる…それを楽しみにしています。

そして来月の個展、彼女の「光」はどう観客の方々の心を捉えるのでしょう
その様子はまた私、あるいはYちゃんのブログを介してご紹介したいと思っています。

今日の写真はYちゃんのカメラを借りて、私がYちゃんを被写体にミラノの近代美術館で撮影しました。

Yちゃん、1週間の時間と空間、一緒に過ごせてとっても嬉しかったよ。
そしてとても素晴らしい想い出がまたたくさんできました。
本当に本当にありがとう。

そして、また一緒に旅をしようね。
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July 22, 2006

「和の輪」を。

先週、イランに到着してすぐに飛び込んで来たニュース…イスラエルのレバノンに対する報復攻撃。
あれから1週間が過ぎたが、イスラエル兵拉致に対する報復の名目で行われた軍事攻撃は数百人もの犠牲者を出している。一体、この攻撃の正当性は何処にあるのだろうか?そしてこの攻撃の裏にあるものに、私たちは気づいているのであろうか…。

レバノンの「ヒズボラ」についてはイランやシリアの協力が常に囁かれているが、今回の軍事侵攻についても例外なく「イランとシリア」の軍事協力という点に、イスラエル側は話に重点を置いて来た。
「ヒズボラ」「イラン」「シリア」のつながり…、これは「非イスラム勢力の排除」という観点が共通している点で、とくに過激派勢力と一致しているからではあるが、こうした「非イスラム勢力の排除」を目の上の大きなコブとして敵対しているのが欧米ー特にアメリカ合衆国であることは言うまでもあるまい。

さて、近代の歴史をさかのぼれば、イスラエル、パレスチナ、レバノン。ガザ地区などの中東問題に常にかかわってきたアメリカ合衆国。今回のイスラエルによるレバノン攻撃についてはどの国よりも一番遅く公式見解を出しているし、決してイスラエルのことを非難するコメントなんぞは出さない。
これはイスラエルとアメリカ合衆国の他ならぬつながりをあらわしているに他ならない。
面白い事にこの現象はその国を拠点とするメディアにも顕著に出ている。
例えばCNNであるが、ほとんどのレポートはイスラエル側からのもので、レバノンの現地レポートはあるにせよ圧的にその量は少ない。
また、イスラエルの高官とCNNとの直接インタビューでも決してイスラエル側の行動について深く追求した質問や、やりとりは見られない。そして答える相手の回答がどんなに的外れでも、そのまま話を続けるか切ってしまうのだ。
正直、見ていて「イライラ」するものばかりである。
一方、アメリカ側と歩調を合わせることの多いイギリス、政治はどうであれメディアはCNNのそれを大きく上回る「OPEN」さが際立つ。
今回の問題でもBBC WORLDでは「ヒズボラに対する軍事攻撃で多くの民間人犠牲者をレバノン側に出していることについて」イスラエルの高官に問いつめるインタビューがあり、ニュースキャスターの鋭い視点の質問が飛び交っていた。そしてキャスターは時間が許される限り、その高官達に納得いく回答を迫った。

(こうしたイギリス発のニュースメディアの先鋭さは、今回の問題だけでなくいろいろな所で目にしてきたので、常に大統領の顔色/政治・ロビーエスト達の顔色に左右される国のそれとは随分違うことを実感する。)

今回の軍事問題とメディアの放送を見て、「民主主義」だの「自由主義」などを掲げる国の方もメディアコントロールをしている証拠ではないか…と思うのである。今回のイスラエルの裏に潜むもの、それは明らかに「非ブッシュ/非星条旗」国に対する報復を支援するものに見えて仕方がない。

イランを「テロ支援国」と名指ししたアメリカ合衆国、彼らの国交は1979年以来途絶えたままである。
大使・領事関係はもちろん、ビジネス関係も(表向きは)凍結されている。
ということはアメリカ合衆国の政治家レベルには「現在のイラン」について知る者は「いない」ということである。
それだからこそ、なおさら今回のイスラエルのレバノンに対する攻撃継続が「顔を出さないアメリカ合衆国の攻撃」ではないのか…という黒い疑問の発端である。
それがどういうことかというと、一見すると歴史的衝突の繰り返しにも見えるが、イラク問題に失敗している合衆国は同じように直接攻撃・介入で「対イラン/シリア」への戦争はふっかけられないため、同盟国であるイスラエルを使って、それらの国の「イスラム過激派勢力」へ攻撃をしかけているのではないか、ということである。
そして名目は「イスラム過激派勢力の一掃」ではあっても、辿り着く場所は「石油、オイルパイプライン」の覇権を握るための彼らの陰謀ではないのか…とさえ思える。

追)ちょうどこのblog記事を書いた同じ日に、映画『SYRIANA』を観た。いつも私の国際情勢についての意見には首をかしげていた「働き者」さんだが、この映画を観た後の彼は私の見解を納得してくれた。
この映画は「テロリスト」について描かれているという説明のされ方が多いが、これは決して「テロリスト」だけについてではないと思う。これは石油ビジネスで汚れた世界の風刺と、自分たちの利益獲得のために多くの無実の人々が何らかの型で犠牲になっているという表現ではないだろうか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

レバノンのベイルートに帰省中だった友人から電話が入った。
「イスラエルによる「ヒズボラ」攻撃がレバノンで起こり、勤務地のドバイに戻れなくなった…。」
ベイルートの国際空港は真っ先に攻撃で破壊され、シリアとレバノンを結ぶ主要幹線道路も攻撃で破壊された。
そのため、多くの人々は陸・空からの逃げ道を奪われることとなってしまった。
この友人はフランス国籍も持ついわゆる二重国籍保有者でもあるのだが、フランス大使館の対応も混乱の中にある為、フランス国籍者の避難を助けるのもかなり時間がかかっているらしい。
(ちなみにイタリアは攻撃開始直後にレバノンのイタリア国籍者をすぐに脱出させ、イスラエルの攻撃を非難した。おそらく一番早い対応だったであろう。首相が変わって国際情勢に対応する早さがupしたと思う。)

そしてついに友人は「大使館の対応を待っていてはいつまでたってもベイルートを脱出できない。明日、シリアまでタクシーで行く。そしてそこから乗れる飛行機に乗ってドバイへ向かう…」との連絡が入った。
ベイルートからシリア国境までは車で5〜6時間。この移動の間にも攻撃に遇う可能性は大きい…。
そんな彼からの電話を受けた私たちは、彼の無事を祈り続けた。

昨晩、SMSが届いた。
「無事、ドバイの自宅に辿り着けた」と。

イスラエル側は「一般市民を盾にして、ヒズボラは街の中に潜んでいる。だから市民の巻き添えも仕方がない」と主張する。
「ピンポイント攻撃でヒズボラの拠点だけを狙った」と言って、爆撃機から撮影したピンポイント攻撃の映像も流れる。アメリカ合衆国がイラク攻撃を始めた時と同じ光景だ。

世界は「目には目を」に従い、光を見る目を失ってしまったのか…。
光を求める子供達、大人達に、これ以上闇を落とし続けることは止めよう。

長々と綴ったが、一人でも多くの人に「和の輪」を広げてくれるよう、このbloggerの場を使って訴えたい。

世界が光を失わないように…。
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夏の日。

日本を出てスイスに戻ってからも、毎日家でゆっくりする時間がないくらい忙しい夏。
テヘランに3日、ドバイに2日、その翌日はすぐにチューリッヒへ。チューリッヒで2日過ごした後はイタリアへ。
今は大好きな従姉妹Yちゃんを連れてミラノに来ています。
彼女にとって初めての海外。
1人で飛行機に乗って、1人でスイスに降り立ち…。
この大冒険へ一歩踏み出した彼女のためにも、イタリア&スイスの時間を素敵なものにしてあげたいなぁ。
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July 12, 2006

ただいま〜!?


博多のお祭り博多祇園山笠のクライマックスは7/15日。
迫力ある「追い山」が見れず残念…

街を豪快に走る「山」とは別に、こうした「飾り山」が博多と福岡の主要箇所に設置される。
7/15の「追い山」ではなんと、この巨大な飾り山の1つ8番山(中洲の商店街にあるもの)が博多の街を
走ります!(男衆が担ぐんですよ!)


6/10の深夜、スイスはレマン湖のほとりへ戻って来ました。
ちょうどモントルージャズフィスティバルで盛り上がっていることもあり、
いつも以上に人が多くて活気に満ちあふれております。

昨日、新しいアパートへ入居し荷物をほどき、今日は朝から湖のほとりを
散歩し、気分爽快に久々にブログを書いておるところです。
さきほど、アパートの管理人さんの所へご挨拶と洗濯機/駐車場のことを伺いに
行って来ました。
今回も例外なく、英語はお話にならない管理人さんですが、苗字がイタリア系(旦那さまの方と思われる)の
お名前だったので「イタリア語は話せますか?」と尋ねると「少しね」とのご返答。
前々回同様チャンポン言葉で管理人さんとはコミュニケーションをとることになりそうです。
今回のアパートの管理人さんもとてもやさしい方で、ホッとしました。

暮らし始めたアパートは、なんと今から2年前に初めてスイスへ越して来た時に暮らしたアパートの
目の前。なんだか不思議な気持ちです。
あれから2年…。当時は言葉もできず、アパートの仕組み、洗濯機のルールやら何やら全て手探りで暮らして
いたのに、今ではほとんどのことが1人でも出来るようになりました。
昨日はそんな私たちの生活の変化を「働き者」さんとちょっぴり、しんみりと考えてみたりも…。

さて、肝心の日本滞在。今回もたくさんの素晴らしい想い出に恵まれました。
家族と過ごす時間、友人達と過ごす時間…、新しい人達との出会い…
海外生活でフルに使うエネルギーを日本にてたくさん充電することができました。


実は今回、初めて「名前をつけた」集いをやってみました。
名付けて「Amiche会」。
独身の頃から年に数回やっていた、お友達を集めたパーティーなのですが、気がついたら
日本にいる時は必ず1回は催すようになっておりました。
そこで、「それならイベント化」しよう!と思ったのです。
「Amiche」とはイタリア語のamica(女友達)の複数形。
だからと言って、この集まりは「女だけ」の集まりではございません。
男性陣も参加OK!!!

今回は6ー7年振りに会う友人、従姉妹なども加わり新たにその輪が広がりました。
会の場所となった福岡・大名の「Casa Vecchia」(古民家を改装したイタリア料理店)さん
には本当にお世話になりました。
お料理、とってもおいしかったです!!!

そんな「Amiche会」、第一回を楽しく過ごす事が出来ました。
そして最後にこんな提案を…

「第2回は、みんなの居場所の中間地点あたりで会いましょう!」

そうです…いずれは「Amiche会」の海外進出を!!!
そのために、それぞれ毎日「100円貯金を!」



そしてAmiche会会員の
「山の寿」(山口合名会社)8代目さんの蔵へも足を運び、日本の伝統の素晴らしさを感じた日も
ありました。歴史の重みを感じる母屋で過ごした時間はまるでタイムスリップしたかのよう…。
そして8代目さんの前向きな姿勢や心に共鳴できたこと、嬉しく思います。



その日のことをその8代目さんがご自身のブログに掲載してくださっています。
リンク:「燦寿の息吹」跡取り娘が今日も行く

そして何よりも、今回帰国の目的であった「元気になる」ための日課でお世話になった方々…。
U本先生とお嬢様のRさん、おいしいお昼ご飯を作ってくださった奥様。そして毎日の日課に場所を提供
してくださったS様。
本当にお世話になりました。
そして「ありがとうございました」。

私と「働き者」さんの台風帰国を全力でもてなしてくれた両親、そして居候させてくれた弟をはじめ家族みな
に感謝しています。

「ありがとう」。

そして嵐のようなスケジュールですが、明日から5日間「イラン(テヘラン)&ドバイ」へ行って参ります。


★Bambina与論島写真集★
In Tutto Il Mondo
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July 01, 2006

島旅 ウラ写真






「島旅 ウラ写真」と題しました…。
「オモテ写真!?」は毎度のことなのですが「In Tutto il Mondo」に掲載しました。
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